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【プレイバック】かつて広島で活躍した選手の今④ ~広島国際学院 山崎 壱成~ (2020-05-24)
このシリーズではかつて広島で活躍した選手の今をお届けする。
第4回目では、現在通訳として活躍する山崎壱成さんの今を紹介する。

前置として、山崎は大学から、サンフレッチェ広島の通訳に大抜擢され、現在はアビスパ福岡で活躍をしている。夢を追い求める山崎の生き方、考え方には参考になることが多く、彼のここまでの人生をまとめている。もちろん最初から通訳になるほどの語学はなく、大学時代に初めていった留学先の外国人の友達に「当時の英語は最悪だった」と言われるほどの語学だった。しかし現在ではサッカー選手の通訳、アジアチャンピオンズリーグおいては、本田圭佑(元:日本代表)や、ファビオカンナヴァーロ(元イタリア代表)の通訳者として、会見に登壇をした実績の持ち主にまで上り詰めた。
責任ある立場にあえて身を置き成長することを止めない。そして思考することを続け、見たことのない景色に飛び込み、挑戦する彼の活躍をまとめている。


小学生時代、山崎は安芸FCからサッカーを始め、エストレージャとサンフレッチェ広島(以下:サンフレ)のスクールにかけもちで通いながらサッカーに励んだ。
4年からはサンフレジュニアのメンバーに選ばれ、仲間とともに全国の舞台にも立つ。個人としては、中国地方の選抜に選ばれた優秀な実績の持ち主だ。
中学チームの進路先はもちろん、サンフレJYを希望し、セレクションに参加したが、結果は落選。
振り返ると、身長も低く、技術が他より突出していたわけではないので、落選は当然と振り返る。が、当時、自宅の自分の部屋で泣きじゃくった過去を語ってくれ、今でもあの時の悔しさは忘れないと、インタビュー中の表情と言葉に、悔しさがにじみ出ていた。
結果は落選をしたものの恩師には「いつかサンフレに実力をつけて戻ってきてくれ」と言われ、まさか社会人として、サンフレに戻るとは本人すら予想ができなかった。
その後は、サンフレジュニアの恩師に紹介をしてもらった、ピジョンFCへの加入を決める。



(小学生時代のプレー写真)

ピジョンFCは、文武両道を掲げており、指導者に学校の成績書を見せなくてはいけない決まりがあった。サッカーだけでなく、生活面も厳しく指導してくれたクラブだった。本人は塾に通っていたこともあり、成績は各教科とも満点をとっていた。しかし、唯一美術だけは3点(5段階中)で、満点をとれなかったと笑いまじりに教えてくれた。
そして、3年時、キャプテンをチームの選手による投票制で決めることとなり、1人を除き全員が山崎をキャプテンとして指名した。山崎は、サッカーに対する姿勢が強く、「疲れた。熱い。しんどい。」などの弱音を一切吐かず、ネガティブな自分を見せなかった。どんな局面でも楽しんでサッカーをしていた姿勢を、チームメイトは、山崎をキャプテンとしてふさわしい人物だと認めたのだ。
しかし、キャプテンとして苦労することもあった。チームを引っ張る責任感なのか、選手の表情、発言、プレーばかり気にしてしまい、自身からアドバイスを送るが、思いが伝わらないことばかり。他人のことに気をとられ、大好きなサッカーにのめり込めなくなった時期もあった。ただ、山崎はこの状況を打破するために、「人の行動、言動を認める。そして提案をする」ことを行い始め、自分の思いが人に伝わる感触を実感できた。思考することの大切さを習慣化できたことが、後の彼の人生に生かされる。

中学3年時、勉強ができた山崎は、進学校の国泰寺、広島皆実への進学を希望していた。
しかし、彼の試合を見ていた、広島国際学院の監督から声がかかり、山崎の学校まで足を運んでくれオファーを受けた。
結論から言うと、国際学院に行くことを決めるのだが、何が進学の決め手になったのか聞くと、
「中学校時の試合を見に来てくれた監督は、試合のプレーだけでなく、試合間の僕の行動さえ見てくれていて驚いた。プレーだけでなく、人間力を伸ばしたい方針に心惹かれました」と語るように鮮明に覚えており恩師の言葉の重みを感じた。
その話を受け、国際学院への進学を即決断し、その日の夜に両親からも了承を得た。
ここから山崎の国際学院での高校生活が始まる。

(中学生時代 背番号6)

広島国際学院は言わずと知れた県内では人気高であり、当時、サッカー部員は100名以上を超えていた。
2年時山﨑は、1つ上の先輩のレベルが高い中でも、後輩として試合に出場するほどの実力で貴重な戦力だった。自分のもてる力を発揮し、県リーグ2位となり、プリンスリーグ参入戦出場に貢献をした。
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そして、3年時、中学時代と同じように選手による投票制でキャプテンが決められることになる。結果は、ほぼ全員が山崎をキャプテン候補に立候補した。
しかし、本人は悩んだ。
中学時代、周りを気にするばかり、サッカーを全力で楽しめなかった過去が、高校でもやらなければいけないのかと頭をよぎった。
この悩みを仲の良いチームメイトに打ち明けたところ、背中を押してもらい、最終的にはキャプテンとしてチームを引っ張ることを決心した。
覚悟を決めた山崎は、まず最初にしたことは、キャプテン、副キャプテンはチームメイトの投票制で決まったが、副キャプテンをもう1名指名したことだ。
その人物は、副キャプテンとしての人柄ではなかったが、チームがよくなるための可能性を秘めていると感じ、自分の近くに副キャプテンとしてのポジションを与えた。
元々チームを引っ張れる存在価値があった山崎だったが、さらにチームがよくなるためにどうすればよいか試行する作業を繰り返し続け、自問自答も何度もした。
チームの雰囲気、プレーの質、目標意識など、質の高い集団を作り上げるために、声かけひとつに対しても追求をし、チームの質が向上するためにはもっと良くなる方法がないかを模索をした。
自分と向き合う時間を増やし、チームのためにできることをし続けた結果、山崎の目指したチーム出来上がっていく。
チームの成績は大きく振るわなかったが、大軍団を率いた山崎の成長は他も認めるものだった。


サッカー部引退後、山崎は進学を希望しており、進路を決めなければいけなかった。
中学時は秀才だったが、高校時での成績は自慢できるものではなく、英語の成績は下位に低迷をしていた。
大学からスカウトの話はあったものの、残された高校生活は勉強をやりこみ、今まで勉強していなかった時間を取り戻そうと奮闘した。
進路を選ぶ中で、山崎は「知らない世界を見たい。挑戦したい自分がいた」と語るように、地方の大学ではなく、日本の中心部、関東圏に大学を絞ることに決めた。
海外思考も当時から強く、自分のスキルを高められることも、1つの指標とし大学選びをした。
最終的には、留学制度や海外プログラムがしっかりしている、拓殖大学の受験を経て入学することになる。
拓殖大学ではサッカー部には所属せず、目的であった海外留学に力を入れた。
入学後は、大学1年時の夏休みを利用し、イギリスへ1ヶ月間の留学に渡英した。
日本では味わえない海外独特の価値観、自分の知らない世界を見るために挑戦した、海外留学での収穫は大きかった。
海外に行くだけで、サッカーで得点を決めた時、勝利した時に似たような興奮と高揚感が味わえた。
1ヶ月の留学を経て、彼は感想文にこう綴っていた「主体的に行動する事で人間として成長することができ、人生を変えていくためには新しい出会いが必要だ。」

留学を経て帰国後は、次なるステップアップで長期の留学を計画し、必要な資金集めのために、アルバイトの掛け持ちをした。
留学で学んだように新しい出会いの重要性を考え、居酒屋、中華料理店、ウェディング、イタリアンなど多くの環境に身を置いた。


順風満帆の大学生活を楽しく過ごしていた山崎だが、転機は突然くる。
大学3年時に退学の決断をしたのだ。
当時、サンフレが外国人選手の通訳を探していたところ、ジュニア時代の恩師から通訳として誘いの話があった。
社会人経験は無く、もちろん通訳としてのキャリアもなかったが、迷いはなく、サンフレと通訳としての契約を結んだ。
なぜなら、そこには見たことのない景色をみられると確信したからだ。

そもそも、通訳の仕事はどんなことをするのか聞いてみた。
見えるところでは、試合、練習中の監督、選手が言う言葉を瞬時に訳すことだ。
見えないところでは、日本に暮らす外国人選手の生活を支えることだ。
ゴミの捨て方、郊外での買い物など、生活のほとんどをサポートしなければいけない。
時には、夜中に急用の電話がかかってくることもあったという。
どこまで選手に付き添うかは、通訳者により様々だが、山崎は選手にとってよきパートナーとして活躍する。
その結果の現れが、担当する外国人選手が、サンフレから他チームに移籍することになった際に、担当する選手から一緒に来て欲しいとお願いをされたのだ。
選手にとって、山崎は必要な存在で、信頼関係を築いた証だ。
その他にも、山崎自身で取り組んでいたことは、日本人に英語を教えることだ。
そうすることで、自分の通訳する割合がへり、仕事の効率化が生まれる。
そして何より、通訳を挟むと言葉は伝えることができるが、当事者同士の気持ちが伝わりきらないと思ったからだ。
若手選手を中心に、英語の文法や、発音などを教えることもそうだが、選手たちに「英語で話すな、自分で話せ」という言葉を若手選手に投げかけていた。
どういう意味か。
英語を習う人で陥りやすいのだが、習った文法や単語を並べることばかり考えて、気持ちが伝わりきらない傾向がある。
自分らしさを失わないためにも、思ったことをしっかり伝えて、相手の反応とかを必要以上に気にしない方が良いし、そんな自分を好きでいてくれる人たちを大切にしてけば良い。
留学を重ね、語学を身につけた山崎の説得力のある言葉で、筆者も納得した。
彼の英語会話へのメソッドが書かれている、noteがあり、興味がある方は是非見ていただきたい。
山崎 野獣 壱成 note
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(アジアチャンピオンズリーグ記者会見の様子)


(試合中 監督の指示を翻訳し外国人選手に伝える山崎)

最後に、今後の夢を聞いた。
「自分が死ぬまでにどれだけ多くの人に好影響を与えることができるか、自分の生きている価値を与えられるか。経営にも興味があり、学んできた英語、メンタル、ヨガ、トレーニングなどを活かした仕事の展開も考えている。」
「学ぶ過程で創り出される個性を愛して人生をアップデートする」
人生において何が起こるか分かない。どんな局面においても、自分がそこにいるかのように映像を作り出し、リアルなイメージトレーニングし、常に準備をしている。
と加えて、人生において自分の大切にしていることを教えてくれた。

フレスポ見ている子供たちにもメッセージをくれた。
「常に思考し続ける、楽しむことは忘れないこと」
人生のゴールは幸せであって、楽観的に生き、自分に向き合うこと。
常に100%で行動し、それを心から楽しんでほしいです。



本人の希望もあり、所属クラブでお世話になった、クラブ、スタッフを紹介
所属クラブ (スタッフ名)※敬称略

サンフレッチェ広島FCジュニア (塩崎、荒木)
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広島ピジョンFC (山下・新藤・今坂・植田)
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広島国際学院高等学校 サッカー部 (瀬越・谷崎・岡森・山田)
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