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【プレイバック】かつて広島で活躍した選手の今③ ~広島皆実 有國 修平~ (2020-05-16)
このシリーズではかつて広島で活躍した選手の今をお届けする。

第3回目では、広島皆実高校サッカー部 (2015年度卒)  有國 修平 さんの今。

広島皆実高校卒業の有國修平さんについてお届けする。

小学校の友人がサッカーをしていたこともあり、小学2年生からサッカーを大野西SCで始めた。
当時からスピードのあるドリブルを得意とする選手で、同地区の強豪廿日市FCに勝ちたい一心でサッカーに打ち込んだ。
チームとしては全国大会に出場することはなかったが、県選抜、中国選抜に選ばれ、将来有望な選手だった。

(小学校時の写真)

その実績もあり、サンフレッチェ広島JYのセレクションで合格し、入団が決まった。
当時を思い出すと、整備された人工芝、指導者にも恵まれ、サッカーに対しての考えがより深く考えるようになったと有國は振り返る。
全国大会常連の強豪チームを3年時ではキャプテンとしてチームを引っ張った。
当時の苦い思い出話もあるという。
全国大会で、vsヴィッセル神戸との試合数日前、チーム内でウイルスが流行し、スタメン半分が試合に出場できない事態となり、チームは1−6と大敗と悔しい思い出だ
今でもなんのウイルスがよくわからないと、苦笑いながら語ってくれた。



(中学生時の写真)


有國は、高校はサンフレユースに昇格できるだろうと考えていた。
ジュニアユースでキャプテンを務めた先輩が昇格したから何となく安心していた。
しかし、現実は違った。ユースのセレクションを終え、結果を親と共に、ジュアユースの監督のもとへいく。
渡された封筒を開け、中身の用紙には「不合格」の文字が書かれていた。
頭が真っ白になった有國。
その後に広島皆実の推薦の話をもらい、皆実への進学を決心したもの、サンフレに対する裏切られた気持ち、敵対視する気持ちになったという。
皆実高校に進学後は、ジュニアユースの先輩も多くいたことから、
自分のプレーを発揮できるなと思って、1年で公式戦に出場することが目標だった。
しかし、1年生主体で参加する「 LIGA NOVA 」では12番手とベンチを暖めることになる。
納得がいかず、当時の監督に物申すことが多々あったり、試合にでてもすぐに交代を強いられることもあり、最悪の高校生活のスタートだった。
ふてくされる毎日だったが、中学時代の恩師との出会いが自分を見つめ直すきっかけとなる。
中3で構成された県選抜と対決した試合に、サンフレJYの恩師が来ていた。
いいところをみせようと有國は出場したものの、脱臼癖で思い通りのパフォーマンスができずベンチに退く。
自分のふがいなさが歯痒かった。
試合後、サンフレJYの恩師と対話する機会があった。
こんな自分のプレーに対してもしっかりとみてくれていること、アドバイスをくれること、気にかけてくれていること、全ての言葉と行動に恩師の暖かさを感じた。
サンフレが嫌いになった自分が情けなくなり、
心一心、お世話になった人たちに対し、恩返しをしたいととがっていた有國の気持ちは変わった。
2年生からは、Bチームで試合にコンスタントに出場できるようになり、先輩の最後の舞台である全国高校サッカー選手権ではベンチに入ることができた。
話は変わるが、入学当初から有國はドイツに行きサッカーし、プロになることを考えていた。
高1時、選抜による海外遠征を経験し気持ちがさらに強くなったが、親、担任の先生は反対をする。
担任は、日本大学を勧めてきた。
全国インターハイでは、その日大の監督が自分のプレーを見に来てくれたり、練習会にも参加した。
インターハイは有國の活躍もあり、全国ベスト8になり、日大の推薦枠を正式に引き寄せた。
ドイツへの気持ちはあったが、大学からプロにいければ御の字と思い、日本大学への進学を決めた。
そして、有國にとって最後の高校サッカー選手権大会へ。
皆さんもご存知の通り、有國の特徴は、右足から放たれる無回転フリーキック。
県大会、決勝(vs観音)でのフリーキックは多くの観客を魅了し、ゴールパフォーマンスも見物であった。
有國は高2から取り組む習慣があった。
「一日一善」をルーティーンにかかげ、毎日トイレ掃除や、ゴミ拾いに励んだ。
これが運を引き寄せたのか、インターハイベスト8、選手権ではスーパーゴールで全国大会へ行けた。
そのゴールは瞬く間にSNSで拡散され、全国、メディアも注目し、学校にも取材がきたという。
しかし、有國はメディアからの注目度が上がり、天狗になってしまいルーティーンをやめてしまった。
全国から注目が集まった、全国大会1回戦(vs國學院大學久我山)は、チームは敗退し、有國もなにもできず選手権は終わった。
全国での成績も振るわず、振り返れば後悔でしかなく、継続する大切さは大事だと当時を振りかえる。
皆実高校で気づいたことは、中学校までは道筋を先生、指導者が作ってくれサポートをしてくれるが、高校では違う。
高校では、努力、継続、自分と向き合うことで進路が決まる。
それが中途半端になってしまったのが、悔いに残るが、気づけたことがよかったと有國はいう。

(高校時の写真 右から3番目)

日本大学に入学後、サッカー部の練習は早朝練習のみで、朝からとにかく走り込み。
そして、授業を行い、夜は専用の寮で同部屋の10人の仲間と暮らす日々を送る。
Bチームスタートとなったが、1年時、最後の大会では4試合連続ゴールと圧巻の活躍をする。

(大学時の写真 右下)

気持ちよく2年ではレギュラーコースと思われたが、2年生の部活再開前に自主退学をし広島に帰った。
なぜ急に自主退学をしたのか聞いた。
1年時の全過程が終了し、迎えた春休みに、有國は家族とオーストラリアへ海外旅行をした。
当時から、英語をしゃべること、海外の環境が好きだったので、楽しめたのは言うまでもない。
帰国後に気持ち一心にサッカーに取り組もうとしていたところ、部屋掃除の際に見つけたノートを手にし読み返した。
有國はノートを読み返し気づく。プロになるために書き留めたこと、目標ができていない。「これではプロになれない。」
プロになれないのに、ここで過ごす時間に意味はあるのかと考え、自分と向き合い気づく「英語をしゃべりたい、世界を旅したい」と。そして自主退学を決意した。
広島に帰国後は、1年間のオーストラリアへ留学資金をバイトで稼ぐ。
ラーメン屋、サンフレッチェ広島スクールコーチなど4つのアルバイトを掛け持ちし、
1年で目標の130万の額を大きく超えて、180万円をためることができた。

そしてついに念願のオーストラリアへ旅立つ。
半年間、語学学校に通いながら語学を学び、ホームステイをし、
現地の人と交流をし語学を学んだ。
語学がわからず、頼る人もおらず、それでもすべて自分でやらなければいけない環境だったので、生きる術を経験でき自信にも繋がる。
日本の環境はすべてが恵まれているなと改めて感じることもできた。








1年間の留学を終え、日本に帰国。
有國は大きな目標をたてた。「世界3周する」ことだ。
世界3周する前に、自身がどんな人間か知ってもらうために、Youtube「ジャポネーゼ」チャンネルを開設し、
留学中に出会った彼女と日々更新中だ。
動画を通し、世界3周する時に貧困層にサッカーボールや服を送るなどの慈善活動につなげたいのも狙いだ。
そして、海外の生活風景を日本の人にも送りたいのも目標の1つだ。


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有國は、「世界の貧困層のため、人のためにできることをやっていきたい。そして世界の文化、景色を見ていき、動画を通しみんなに発信していきたい。」と語った。

そのためにはビザの関係、資金も必要で、今は日本でリゾートバイト(北海道)をしている。
これから世界へ羽ばたく、彼の姿が楽しみだ。
フレスポとしても彼の活躍を追いかけていき、応援をしたいと思います。



〜フレスポへのメッセージ〜
私はサッカーでうまくいかない時もたくさんありました。
今回の記事を通し、見てくれた人たちの気持ちを動かすことができれば幸いです。
フレスポは広島のサッカーしている子供たちの情報を取り上げてくれているので、
これからも彼らを刺激してくれる熱いメッセージを届けてください。