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【プレイバック】かつて広島で活躍した選手の今⑤ ~広島観音 引地 海斗~ (2020-06-04)
このシリーズではかつて広島で活躍した選手の今をお届けする。
第5回目では、現在FC淡路島で活躍する引地海斗さんの今を紹介する。

前置として、引地は、小学校から突出したサッカーセンスを研ぎ澄ませ、中国地方選抜にまで上り詰めた実力の持ち主だ。
経歴さえ見れば、将来を有望され、強豪校に進学を重ね順風満帆のサッカー人生を過ごせたように見えるが、時にはサッカーをやめたくなることもあった。しかし、周りの環境、家族の力にも支えられ、現在では社会人サッカーで活躍をする。Jリーグ加盟を目指す、兵庫県リーグに加盟する「FC淡路島」で、日々サッカーに打ち込む引地。涼しい表情の裏には、サッカーへの熱い情熱を秘めた彼について紹介をしていきたい。


小学校低学年からシーガル広島(以下:シーガル)のサッカースクールに通い、サッカー人生を歩み出す。
4年になるとスクール生からチームとして編成されたメンバーにも選ばれ、公式戦に出場をする。
当時から引地はボールの扱いがうまく、またメンバーもよりすぐりの選手が選ばれており、チームは言わずと知れた県内屈指の強豪チームに成長する。
シーガルからは中国地方選抜が4名も選ばれ、引地もその一人だ。
名の高いシーガルに対し、他のチームは打ち勝つために徹底的に分析と研究を重ね、試合に臨んでくる。
そのこともあり、シーガルは全国大会に向けた大事な大会でローザスに敗れてしまう。
思い出話ではないが、当時キャプテンを務めていた引地は、敗戦後の保護者あいさつを十分にせず、母に人生で2度とないだろうというほど怒られた。
引地の母はサッカーのプレーには文句はつけてこないが、生活面においては厳しかったそうだ。
さらに、父はサッカーをしていたことから、たびたび走りのトレーニングを指導された。
両親に支えながら引地はサッカー生活を送れたことを後に実感をする。



(小学生 シーガル広島での写真)

中学への進学を前に、サンフレッチェ広島(以下:サンフレ)JYへの入部を希望し、セレクションへ参加をする。
県内有数の選手が参加するセレクションは1次〜3次まで行われ、内容は、体力テスト、ゲーム形式を行い個人のスキルを確かめられる。
引地は思うようなパフォーマンスを出しきれなかったと言うが、それまでの実績も認められたのか、後日、自宅に合格通知書が届き、無事にサンフレJYへ加入することが叶った。

サンフレJYは、ご存知の通り、府中町にある青少年文化センターの人工芝が練習拠点で、学校が終わると親に学校近くの駅まで送ってもらい電車で会場に向かう。
当時は、週6のチーム活動があり、中でも印象深く残るのは、火曜日に行われる走りのメニューだった。
引地の代は特に走りに走ったと、当時のつらかった思い出を苦笑いで語る。おかげで相手に走り負けない、最後まで力をだしきれるチームに成長をする。
当時の監督は保護者、関係者ともが認める、熱血な名監督。
叱咤激でチームをこぶし、肉体的にも身体的にも鍛え上げられた3年間だった。
その熱血監督が言い放った言葉は今でも鮮明に心に残る。
クラブユース大会の全国出場をかけた大事な試合で、絶対負けられない戦いの日だった。
サンフレJYと対戦チームは激しくぶつかり合う。
際どいプレーに選手含め、コーチ人からも大きな声が飛び交う。
ハーフタイムに監督から「お前らのことは俺が守るから。ピッチで全力を出せ」と言われたこの1言ことで、皆のモチベーションがさらに高まる。
この言葉のおかげで、選手はピッチの中で冷静にかつ、思い切りよく戦い、チームは逆転勝利で全国大会への切符を手に入れた。
数々の選手の話を聞いてきたが、恩師の言葉は見えない力を届けてくれる。言葉で言い表すのは難しいが、言葉1つで人の行動は確かに変わるのだと筆者は感じた。



(中学時 サンフレJYとの記念撮影)

そして中学3年目、サンフレJYでたくましく育った引地はサンフレユースのセレクションに参加した。しかし、結果は落選。
想像以上にサンフレユース加入の壁は高かった。
悔しさが残る中、次なるチームを探した。
広島県内外のチームの練習会に参加をし、いくつかのチームを見てきたが、結局は生まれ育った広島でプレーをすることに決めた。
サンフレJYからユースへ昇格できかったメンバーで同じチームに入ることも考えた。
しかし、JYの監督からは止められた。
なぜなら、県内1強のチームが出てくると盛り上がらない、元チームメイト同士が戦う姿を見るのが楽しみだからだ。
最終的には、観音高校への進学を決めるのだが、きっかけは何かと聞いた。
皆実への進学を希望したが、推薦2枠が、他のサンフレJYメンバー2人に与えられ、引地は勉強での一般推薦を勧められた。
心の中で、「なぜ俺に推薦がもらえないのか」ともやもやがあり、納得ができないと思っていたところ、当時観音高校で監督を務めていた先生からオファーを受け、観音への進学を決める。
あたかも2人の待つ、皆実との対戦を望み決心をつけた。

観音での高校生サッカーが始まろうとする、中3の3月に悲劇はおきる。
国体選考会で鎖骨を折る怪我をしてしまったのだ。
入部から最悪なスタートを切ってしまった引地だが、それ以外にも、膝の靭帯断裂、腰の分離疲労骨折と、復帰するたびに怪我を負ってしまい、満足にサッカーができなかった。
追い討ちをかけるように、当時から自身の学校生活態度が先生の目に入り、部活謹慎の処分を受け、高1は1、2ヶ月ほどしか満足にサッカーができなかった。
部活謹慎が重なり、親まで呼ばれることになり、嫌気をさし、監督に「学校をやめてもいい」と発し、編入し観音を倒しても良いと思うほど、冷静さを失っていた。
しかし、母は違った。「学校を辞めてもいいけど、悔しくないの?スタメンとってから考えたら?」と引地に言った。
母の発した言葉に、自分を冷静にみつめなおし、まずは学校生活を改め、サッカーに再起をかけた。

2年生からは、今までサッカーができなかった時間を取り戻すように、サッカーに打ち込んだ。時に、監督に厳しく要求されることもあるが、心入れ替わった引地は違い、レギュラーになるために前を向き走り続ける。
最終的には、トップチームの公式戦の試合に徐々に出られるほどに実力を伸ばす。
高校3年になると、チームのサッカーのスタイルが変わり、引地のプレーのよさが活かされるようになったことでレギュラーに定着することができた。
観音は選手主体型のチーム作りをしており、全体練習は朝練と火、木の夕方練習のみで、その他は個人に任せている。
中学時の週6練習から、ガラリと環境が変わったが、自分と向き合い、考える時間が増えたという。
個人としてはストロングポイントや足りない部分を自主トレーニングで磨きをさらにかけ、チームとしては分析やミーティングの時間が多くなり、目標に向かう結束力をさらに高めていた。
サッカー以外で言えば学校生活も充実することができた。
サンフレJY時は、学校が終わり次第練習に行くため、クラスメイトと過ごす時間が少なかった。しかし、観音高校では、部員と共に学校生活を送るため、学園祭、体育祭と学校生活を存分に楽しむことができた。
そして新チームとなり最初の大きな大会、新人戦大会では決勝で広島皆実と対戦することとなり、かつて仲間だった選手との願っていた試合となった。
結果は、観音が勝利をおさめ優勝を勝ち取る。
サンフレユースに昇格できない悔しさと、観音高校でサッカーに打ち込めない日々に悶々とした過去を払拭し、ピッチで引地は成長をした姿をみせることができた。
残念ながら、県総体、選手権は皆実に破れ、全国の夢は叶わなかったが、高校サッカーを通し、自分と向き合う時間ができ、自主性が身についた。そして何より、かけがえのない学校の友達とスクールライフを楽しめ、充実した3年間となった。





(高校 観音でのプレー写真、仲間との記念撮影)

大学は阪南大学へ一般入試で進学することになる。
高校時代、同じサイドでコンビを組んだ友人(友人は右サイドハーフで、引地はサイドバックをする)が先に進学を決め、大学でもサッカーを一緒にしたい思いから後追いする形で進学することを決めた。
阪南大学は言わずと知れた、プロ選手を毎年輩出する名門で、引地の代では3名が大学卒業後プロの道へ歩んだ。
阪南大学は部員数が多いことから、大学リーグに出場するトップチーム、その他の選手は関西リーグと大阪府リーグに出場する社会人チーム登録をしたチームにそれぞれ振り分けられる。
当時のメンバーは上手な選手が多くいたこともあり、引地はトップチームに関われず、関西リーグの社会人登録メンバーの一員として出場した。
ただ、関西リーグ1部もレベルは非常に高く、元Jリーガーも多く、例をあげると、元鹿島アントラーズの野沢選手もいる。
トップチームに絡めなかった引地だったが、関西リーグのサッカーを経験したことから、プロになれなくとも、社会人サッカーで活躍をする環境に身を置くこともありかもしれないと考え始める。





(大学時 阪南大での写真)

大学最終学年、引地はサッカーを現役として続けたい思いから、JFLに加盟するチームなどセレクションをしながらチーム探しをした。
すると、兵庫県で、地区リーグからJリーグを目指すチーム「FC淡路島」が発足し、阪南大学へ説明会にきたことがきっかけで、引地は入団を志願し、チームへの加入が決まった。
何が決めてだったのか?
FC淡路島は2018年に発足し、7年でJ3加入を目指し活動しており、地区リーグ、県リーグ2部と優勝し、県リーグ1部まで昇格をする。
2020年シーズンは、県リーグ1部で関西リーグ昇格に向け戦い、引地もその1人のメンバーとなる。
J3までにリーグで昇格ができなかったシーズンがあった場合、チームは即解散のチーム方針があり、毎年勝負の年といえよう。
そのため、本気でサッカーに取り組める環境に身をおき、できるところまで自分の力を出し切りたい思いがあるのだ。
そして、FC淡路島を運営するには、多くの人の協賛金と、協力が必要なわけで、空いている時間などあれば、チームPRのビラ活動や挨拶回りなど、ピッチでプレーする以外のチーム活動をし、チーム存続の大切さ、協力してくれるサポーターへの感謝を改めて感じることができた。

今後は、このチームのために力をだしきり、J3を目指すことが大きな目標だ。
その中で、自身の力がどこまで通用するか試していきたいし、高めていきたい想いでサッカーに打ち込んでいる。「この先のプランはどうなるかわからないが、この魅力あるチーム、FC淡路島で個人としても飛躍をする」と力強く語ってくれた。



(FC淡路島のユニフォームを通した引地)
FC淡路島 公式HPリンク

あまり口数を多く語らず、クールな印象である引地であるが、心の中にあるサッカーへの情熱は人一倍熱いものを持っている。
これまでの人生の中では、サッカーとうまく向き合えることができなかった時があった。
しかし、近くで支える両親、友人の支えもあり。ここまで上り詰めてきた。
支えてくれる人への感謝の気持ちが、FC淡路島に入団することでより感じることができ、チームの目標であるJ3加盟、昇格のメンバーとして活躍する引地のプレーに期待したい。

最後にフレスポへメッセージを残してくれた。
フレンドリースポーツ では高校の時によく見ていました。
試合の結果や情報、写真などはいつも楽しみでした。
これからも広島県のサッカーを盛り上げてください。